高見沢俊彦との再会、それはキャンパスで突然に
明治学院大学入学後、もう一人のキーパーソンが姿を現す。
今やTHE ALFEEのリーダー、高見沢俊彦である。
桜井さんと高見沢さんは高校の同級生ではあったが、当時は音楽の志向がまったく異なっていた。桜井さんがフォークに傾倒していた一方で、高見沢さんはロックに傾倒。まさに正反対だったため、お互い一緒にやるという発想はまるでなかったという。
坂崎さんは明学高等部の文化祭に遊びに来た際に1度、高見沢さんに声をかけたことがあるそうだ。だから、顔くらいは知っていたらしい。
キャンパスで偶然の再会、そこから一気に動き出す
大学1年の春。坂崎さんと高見沢さんは、キャンパスで偶然再会。坂崎さんは「どちらからともなく歩み寄った」と書いているが、高見沢さんは人見知り、坂崎さんはコミュ力おばけである。絶対に坂崎さんが声をかけたのだと思う(笑)
軽く会話を交わすうちに、音楽の趣味が意外にも似ていることを知る2人。
「最近はCS&Nとかビージーズのコーラスものが好きなんだ」「ビートルズも大好きだよ」
そんな高見沢さんの言葉に、坂崎さんはピンとくる。
「じゃあさあ、うちに来て一緒にレコード聴こうぜ!!」
高見沢を自室に連れ込んだ(?)坂崎は、直感でビビビときた。あっという間に高見沢をコンフィデンスに誘う。
その場で翌日のライブへの参加を依頼したという。
その後、流れるように高見沢さんは「コンフィデンス」に加入する。坂崎さんがコンフィデンスに入ったのと全く同じ流れで、今度は坂崎さんが高見沢さんをコンフィデンスに入れてしまったのだ。

こいつもそれからずーっといるの。
「それからずーっといる」パート2の完成である。
高見沢さんと坂崎さん“同棲生活”の日々
坂崎さんと高見沢さんは、同じ大学に通ううちに、生活そのものも共有するようになる。坂崎さんの言葉をそのまま借りると“高見沢との同棲生活”のスタートである。
2人は、坂崎さんのご実家から恵まれる食料に頼って生きていた。実家が来てくれると、いつもいいタイミングで嗅覚鋭い高見沢さんが現れる。
朝から一緒に登校し、高見沢さんは授業へ。坂崎さんは空き時間をギターや音楽練習に費やす。そして、高見沢さんの授業が終わると、一緒に帰宅。
高見沢さんは教員免許を取る気でいたが、坂崎さんは大学で勉強する気は最初からなかった。相変わらずの潔さである。
授業はそっちのけ。銀座のレコード屋へ
授業が終わったからといって真っ直ぐ帰宅するわけではない。2人は都営地下鉄で銀座へ出向き、「ハンター」という中古レコード店でレコードを漁るのが日課だった。
レコード棚のコーナーをババババーッとめくりながら、新しい音楽を探す。音楽漬けの毎日が、ごく自然に続いていた。
坂崎さんは「高見沢は俺と会って運命を変えられた」と語る。
↓こっちは坂崎さんと桜井さんが語る「はじめての高見沢さん」
音楽の中でつながった3人

坂崎さん、桜井さん、高見沢さん。まったく違う性格と音楽的ルーツを持つ3人が、不思議と自然な流れで集まっていった。
坂崎さんはまとめ役として人と人をつなぎ、
桜井さんは歌声とベースでグループを支え、
高見沢さんは作曲や演奏で引っ張っていく。
こうしてTHE ALFEEになっていくのは少し先の話だが、桜井さんのグループに2人がテキトーに加入したことで、徐々にグループとしての形ができはじめていた。
はっきりした「結成」ではなく、自然に始まった活動
よくある「バンド結成宣言」のようなものはなかった。ただ、気づいたときには3人一緒に音を鳴らしていて、自然と活動がスタートしていた。
それが、後にTHE ALFEEと呼ばれるグループの、静かな始まりだった。
坂崎幸之助が“声をかけた”あの日から始まった
3人が出会ったのは、偶然だったのかもしれない。
でも、坂崎さんが桜井さんの声に惹かれ、桜井さんの後を追って大学を決め、
そこで再び高見沢さんと再会し、誘い、迎え入れたこと。
それらがすべてつながって、THE ALFEEの原型が生まれた。
“結成します!”なんて気合いの入ったスタートではなく、約束したわけでもない。「なんとなく」始まった音楽活動が、気がつけば50年続いている。
桜井さんが冗談で言うように、3人はただずーっと一緒にいるのだ。
以上、前回に引き続き『坂崎幸之助のJ-POPスクール』の考察、今回は桜井さんと高見沢さんとの出会い編をお送りしました。

偶然だけど、もうここまでくると運命なんでしょうね
前回の記事は、同じ本より。坂崎さんのお兄さんと中学〜高校の青春時代↓
ちょっと過去の記事ですが、桜井さん高見沢さん目線で語っていた「はじめての坂崎さん」。プロ意識がずっと高かったのは坂崎さんだったとか。
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